「RCサクセション」の結成から55年。その短くはない年月を経た2023年現在も、当時をリアルタイムで追い続けた世代から後年に楽曲や作品を通して氏を知った世代まで聴衆を魅了しつづけ、幅広い世代から熱いリスペクトを受ける “ザ・キング・オブ・ロック” 忌野清志郎さん。
『伝説』とも称される1986年8月に開催されたRCサクセションの日比谷野外大音楽堂でのライブ「the TEARS OF a CLOWN」より、ライブを中心に1990年以降のソロ・ポートレートなどでもその唯一無二の姿を切り撮りつづけた有賀幹夫さんに、撮影当時のお話から今展示の内容に関して伺いました。
インタビュー&撮影:池部楽器店
有賀幹夫:(忌野)清志郎さんとミック(・ジャガー)(※)のツーショットが撮影できたのは世界で僕だけなんですけど、僕はまずRC(サクセション)が撮りたくて、そしてストーンズを撮りたいって思って写真を始めたから、(写っているのは)僕にとっての2大ヒーローなんですよね。
※ミック・ジャガー:ザ・ローリング・ストーンズのボーカリスト。忌野清志郎がRCサクセションに仲井戸麗市を誘った際に、ザ・ローリング・ストーンズの『Angie』をBGMにして電話したという逸話がある。有賀幹夫は日本で唯一のザ・ローリングストーンズ・オフィシャル・フォトグラファーを務める。
─ このツーショットを撮影するきっかけって何だったんですか?
僕はこの時にストーンズ側の写真家として入っていて、清志郎さんがミックに挨拶しにホテルへ行くということになって。二人ともいい顔をしてるし、特に清志郎さんのこんな照れたような子供のような素の表情というかね。
─ 完全に憧れの人に会ったという表情で 笑。
そうそう。だから「一枚の写真が語りかけてくれる」というか、それが面白いですよね。思い入れは全部ありますよ。あのゲリラライブの写真みたいな、それも清志郎さんの一つの活動の面白さというかね。
─ そうですね。ちなみに一番最初に撮影した写真はどちらになるんでしょうか。
それはギターを持って片足を上げている写真ですね。1985年で、泉谷しげるさんのライブに清志郎さんがゲリラ的に飛び入りしたの。そのあとRCのライブに泉谷さんが飛び入りしてワーって暴れたりして。
─ お互いに 笑。
うん。それが1985年だから僕は24歳くらいですね。そこから自分史で行くと、1986年に『the TEARS OF a CLOWN』っていうライブアルバムになっている野音(※)があるんですけど、そのレコード会社のオフィシャルで撮影に入って、次に『COVERS』のレコーディングがあって。だから次々にロックな現場を目の当たりにさせていただきましたね。撮影した写真に対して思い入れは全て同等だし、全部いいと思っているけれど、僕はあの横顔の写真がとても好きなんです。どうしてかと言うと、あんな清志郎さんは他に誰も撮ってないんです。誰も撮ってない人物像を撮れたら勝ちじゃないですか。
※1986年8月16、17、23、24日に、日比谷野外音楽堂にて開催されたコンサート『4 SUMMER NITES』。
─ はい。
これも『COVERS』のレコーディングを行っていたスタジオの通路なんですよ。なので、そういったものをしっかり写真に収められるかというね。なので個人的にはこれが一番好きかもしれない。振り返ると僕は清志郎さんの横顔の写真が多くて、すごく横顔が綺麗な人なんですよ。
─ 分かります。
Tシャツのプリントにもなった写真はスタジオで撮影しているけどちゃんとライブパフォーマンスをしてて、素敵で、これもポップでいいですよね。
─ ザ・清志郎という姿ですよね。
ちゃんとスタジオで音を出してるんです。電池で音が鳴るPIGNOSE(ピグノーズ)のミニアンプを腰につけて。さっきのゲリラライブの写真が1990年なんだけど、あれから(パフォーマンスも)進化してるんだよね。あれで『笑っていいとも!』にジャーン!って出たりしてたわけ。
─ 確かにやってましたね 笑。
ライブって追いかけると撮れないんですよ。予測してコンマ何秒一歩先に行って待ち構えるんです。待ち構えるというか…追いかけると撮れないんです。あと、この時代は今と撮る気迫が違うというかね。当時はフィルムは36枚で、今みたいにバシャバシャ撮れないわけですよ。フィルムは全部撮りきった時にいい瞬間が来るのが怖いから、どこかセーブして撮るんですよ。あと、撮ったその場では分からないし。
─ そうですね。
あの一番大きいサイズの写真は、あんな格好してギターを弾く人もいないし、あの写真も僕しか撮ってないしね。そういうのが自分にとって誇りというかね。清志郎さんはギターも上手いし、ガチャガチャしたパフォーマンスをしていてもちゃんとギターを弾く人ですよ。
─ RCサクセションの時は、よりギターをしっかり弾いていた時期でしたね。
西村(彩子)さんが撮影した時期(2000年代)は、もっとソウルショーみたいになっていてね。僕が撮っていた時代は「ロッカー」、西村さんが撮っていた時代は「ソウルマン」みたいなイメージがありますね。
─ 世間一般のイメージでは2000年代は「歌手」というイメージも強いかもしれません。
90年代になってからいろんなことをやって、2000年代になってソウルでポップなスタイルで確立したように見えますね。今回は西村さんと一緒に展示することができて、かなり絞り込めたのがよかったですね。あれは『COVERS』のレコーディングスタジオだけど、清志郎さんって普段はすごく寡黙な人なんだけど全然ステージの時と違うじゃないですか。歌詞カードとか持ち歩いて、文学青年っぽいというか。そういう人柄は撮れている、今回の展示で集められた気がしますね。そして、やはり清志郎さんとミックという二大ヒーローを撮れたのは大きいですね。
─ ミックもオンステージではないオフの時の表情ですしね。
そういうのもあれば、ジョニー・サンダース(※)との1988年の原宿クロコダイルでのライブ写真もあって。そのあとの山口冨士夫さん(※)のライブに二人も来て、そのまま深夜『COVERS』のレコーディングに行ったっていう、今で考えると無茶苦茶ですよ。そんな時代でしたね。
※ジョニー・サンダース:ニューヨーク・ドールズ、ハートブレイカーズなどの活動で知られるギタリスト、ボーカリスト。1991年4月のクラブチッタ川崎公演では、忌野清志郎がジョニー・サンダースのライブに飛び入り出演している。
※山口冨士夫:ソロのほか、ザ・ダイナマイツ、村八分、裸のラリーズ、ティアドロップスなどの活動で知られるギタリスト、ボーカリスト。1989年に忌野清志郎との共演作「谷間のうた-素敵な泉 / フラフラ」をリリースしている。
─ バブルの時代でしたし、四六時中稼働していたイメージですね。
お店の方が横顔の写真が反応がすごく大きくてと仰ってましたけど、これはまぁ優等生的なポートレイトでしたけど 笑、清志郎さんの横顔がすごく魅力的で、相当意識して横顔を撮ってるんだなって思いますね。
─ 横顔のTシャツはイケシブのスタッフも購入していますね。
あと、『スローバラード』っていう一世一代の名曲の決めの場面が、西村さんが撮影した2000年代の写真とシンクロしたのが感動しましたね。そういう意味でも自分の写真だけではない、一緒にやることですごく感動したんです。ファンの人もそうSNSでポストしてくれたからね。そりゃそうだよなって。自分が撮ったのが1987年、西村さんが撮ったのが2004年だから、27年ですよ。
─ 西村さんが展示の準備をされている時に、偶然にも1987年と2004年の位置がシンクロしてるって仰ってて。それでこれはこの位置のままでと決まりましたね。パフォーマンスが27年経ってもカッコいいのはすごいですね。
あえてベスト3を挙げるとしたら、一番大きい写真、清志郎さんとミック、横顔かな。
─ 横顔のシルエットはポートレイト撮影の合間かと思いましたが、確かに髪も下ろされてますし。
シルエットだけど、これだけで清志郎さんって分かりますよね。ほかの人が撮ってない写真を撮っているっていうのは絶対重要なんですよ。
─ 清志郎さんってレコーディングだったりオフの場所を見せないと伺っていたので驚きました。
なんでこの写真が撮れたかというと、ジョニー・サンダースをはじめゲストがいっぱい来たんですね。「その記念写真を撮りなさい」というお話だったんです。ほかの時間も自由にスタジオにいれたから最高でしたね。
─ 待ちつつ、撮りつつ。
そうそう。それでも透明人間みたいにオーラを消してましたね。今と違って無音(シャッター)のカメラとか無い時代でしたから。話が変わりますけど、昔CHAGE and ASKAさんのコンサートで前から10列目くらいの通路から、スローな楽曲でシャッターを押したらあとでASKAさんに「シャッター音、聞こえたよ」ってちょっと注意されたんですよ。あのレベルのミュージシャンは本当に耳がよくて。すごいんですよ。
─ 分かります。僕も経験があるので。
分かる?だからそんなにバシャバシャ撮れない時の一枚っていうものは大きいですよね。こういう駆け出しのころに憧れた人を撮れて、そこから何十年も経っているわけで。この間、額装写真を買ってくださったお客様に「こういう機会を設けてくださって本当に嬉しいです」と仰っていただいて。「私が夢中で追いかけていたころの清志郎さんの写真を購入することができました」って、なんというかな…自分の役割というか、ひとつこういうことでもあるんじゃないかなって。誰かがそういうことをしないと…やはり消えていってしまうので。アーティストも普段着で出るカッコよさもあるけど、清志郎さんは真逆でフォトジェニックで、それをちゃんと額装した写真として持っていてもらえることはやはり嬉しいですね。なかなか日本では許可が出ないんですよ。今回の企画発案者は僕ですけど、ありがたいことに清志郎さんの事務所の方にも信頼いただいているなと感じますね。過去に写真展を開催した時はすごく大変だったんだけど、やりきったらすごく認めていただいた気がするので。それでも写真販売は1点2点ならOKというくらいでした。だから今回みたいに何点もというのは初めてですね。
─ 時代も変わり、少しそのあたりも変わってきているのかもしれませんね。写真一枚で変わることってあるじゃないですか。そういうものを感じるんです。ローリング・ストーンズ写真展の時も思いましたけど。
ストーンズはね、向こうも驚いてましたよ。日本人に撮らせてみるかって撮らせたら「え!?」みたいな。それが一回目にあってずっと撮らせてもらえているので。相当彼らは厳しいですから。驚かせるくらいの自分のテイストはあったのかなと。
─ にじみ出るものが無いと、またお話が来るということは無いですもんね。
でも、それはミュージシャンも一緒だと思いますよ。
有賀幹夫
Mikio Ariga
1980年代半ばより音楽関係を中心に撮影を始める。
1990年ザ・ローリング・ストーンズ初来日の際オフィシャル・フォトグラファーとして採用され、以降全ての来日公演を同様の立場で撮影。写真はバンドのオフィシャル制作物に多数掲載。
2016年ロンドンから開始された世界巡回型ストーンズ展(日本では2019年に開催)において、日本人として唯一のコンテンツ協力者としてクレジットされている。